東京地方裁判所 平成10年(行ウ)161号 判決
原告
馬渕芳朗(X)
被告
東京都杉並区(Y)
右代表者区長
本橋保正
右指定代理人
森岡清和
同
土肥直人
同
宍戸一匡
同
佐々木和行
事実及び理由
第三 当裁判所の判断
一 前年の所得を基に保険料の所得割額を算定すべき旨を定めた法令の規定の憲法適合性について
1 前記第二の二記載の事実によれば、本件決定によって最終的に定められた原告の平成八年度分の国民健康保険の保険料の賦課額は、調整条例及び平成八年度料率告示に従って定められた国保条例一三条の二、一四条、一五条、一八条の各規定に基づいて算定されたものと認められるところ、原告は、前記第二の三1(一)(1)記載のとおり、当該年度の所得の有無等にかかわらず、前年の所得を基に保険料を賦課することを定めた現行の国民健康保険に係る法令は、不合理であり、違憲、無効である旨主張する。
2 原告の右主張は、一般被保険者の所得割額について、当該一般被保険者に係る当該年度の住民税額に所定の所得割の保険料の料率を乗じてこれを算定すべき旨を定めている国保条例一四条及び調整条例一〇条並びにかかる所得割額の算定方法を含め前年の所得を基に保険料の所得割額を算定すべき旨を定めている法施行令二九条の五の各規定は不合理であり、違憲、無効であるというものと解されるが、以下のとおり、右主張は採用することができない。
(一) 市町村が行う国民健康保険は、法六条各号所定の適用除外事由に該当する者を除き、当該市町村の区域内に住所を有する者を被保険者として強制的に保険に加入させ(法五条)、被保険者の属する世帯の世帯主が納付する保険料(法七六条)又は国民健康保険税(地方税法七〇三条の四)、国の負担金(法六九条、七〇条)、調整交付金(法七二条)及び補助金(法七四条)、都道府県の補助金(法七五条)、市町村の一般会計からの繰入金(法七二条の二第一項)などを財源として、被保険者の疾病、負傷、出産又は死亡に関して必要な保険給付を行うものである(法二条)。
右のような制度内容からみても明らかなとおり、国民健康保険は、相互扶助と社会連帯の精神に根差した国民保健の向上を目的とする社会保障制度ということができるが(法一条参照)、かかる社会保障制度の内容をどのようなものとするかについては、国民保健の状況、国民生活や社会経済の実態、国家や自治体の財政状況等についての正確な資料を基礎とした、立法府の政策的かつ専門技術的な判断にゆだねざるを得ないものであり、その制度内容の決定については、本来、立法府が広範な裁量権を有しているものというべきである。したがって、その制度内容を定めた法律の規定が、その立法目的に照らし著しく不合理であることが明らかでない限り、右法律の規定については憲法違反の問題を生じないものというべきである。
(二) そして、法は、市町村が行う国民健康保険について、法第五章に定めるもののほか、賦課額、料率、賦課期日、納期、減額賦課その他保険料の賦課及び徴収等に関する事項については、政令で定める基準に従って条例で定めるものとし(法八一条)、右基準の決定を政令に委任しているところ、前示のとおり、もともと立法府は国民健康保険の制度内容の決定について広範な裁量権を有しているものであり、法八一条に規定する保険料の賦課及び徴収等に関する事項の決定についても政策的かつ専門技術的な判断が不可欠であることを考えると、法八一条による委任に基づき行政府が政令で定める基準については、その規定内容が法の趣旨に照らし著しく不合理であることが明らかでない限り、行政府がその裁量の範囲内で定めたものとして、憲法違反の問題を生じないものと解するのが相当である。
(三) これを法施行令二九条の五の規定についてみれば、前記第二の一3記載のとおり、右規定は、保険料の所得割額を<1>基礎控除後の総所得金額等、<2>各種控除後の総所得金額等、<3>市町村民税所得割額、<4>市町村民税額、<5>道府県民税額等のいずれかを基にして算定すべき旨を定めているところ、市町村民税及び道府県民税のうち所得割が、前年の所得について算定した総所得金額、退職所得金額及び山林所得金額を課税標準とするものであるから(地方税法三二条一項、三一三条一項)、右<1>ないし<5>による算定方法は、いずれも、前年の所得を基にして保険料の所得割額を算定するものということができる。
しかして、保険料の所得割は、応能主義、すなわち、被保険者の負担能力に応じて保険料が支払われるべきであるとの考え方に基づくものであるが、前年の所得を基にして保険料の負担能力を計るという考え方は、それ自体合理性を欠くものではないし、個々の被保険者の所得割額の算定を簡便に行うことによって保険料の賦課及び徴収を効率的に行うという観点からすれば、法施行令が採用している前記<1>ないし<5>による算定方法は、その目的にかなう極めて合理的なものということができる。加えて、災害その他特別の事情による生活が著しく困難となった者については、条例により、保険料を減免することができる旨定めることもできること(国保条例二四条参照)をも考慮すれば、法施行令二九条の五が保険料の所得割額を前記<1>ないし<5>の方法によづて算定すべき旨定めていることが、法の趣旨に照らし著しく不合理なものとは到底いうことができない。確かに、原告の主張するとおり、前年の所得を基にして保険料の所得割額を算定する場合には、前年に所得はあるが当該年度には所得のない失業者と、前年に所得はないが当該年度には所得のある新規就業者との間で、その取扱いに差異を生じるが、保険料の負担能力は当該年度の所得の有無や多寡によってのみ決せられるわけではないことをも考えれば、かかる取扱いの差異が直ちに憲法一四条によって禁止された不合理な差別に当たると断ずることはできない。
(四) そうすると、保険料の所得割額を<1>基礎控除後の総所得金額等、<2>各種控除後の総所得金額等、<3>市町村民税所得割額、<4>市町村民税額、<5>道府県民税額等のいずれかを基にして算定すべき旨を定めている法施行令二九条の五の規定は、行政府に与えられた裁量権の範囲内で定められたものとして憲法に違反するものではないというべきであり、したがって、また、右規定に基づいて所得割額の算定方法を定めた調整条例一〇条及び国保条例一四条の各規定、憲法に違反するものではないというべきである。
3 なお、原告は、前年の所得を基に保険料を賦課すべき旨を定めている法令の規定自体が無効ではないとしても、当該年度に所得のない人には保険料を賦課しないように右法令を解釈すべきである旨主張するが、法施行令二九条の五の規定並びに右規定に従って所得割額の算定方法を定めた調整条例一〇条及び国保条例一四条の各規定が憲法に違反するものでないことは、前示のとおりであり、原告の主張するような、限定解釈は必要のないものである。原告の右主張は採用することができない。
二 良介の国民健康保険の加入手続の瑕疵を理由として区長の保険料の賦課決定の無効をいう原告の主張について
1 原告は、本件資格取得届は原告の意思に基づかずに提出されたものであるから無効であり、これによる加入手続も違法、無効であって、それを契機として行われた区長の保険料の賦課決定も無効である旨主張する。
2 しかしながら、前記第二の一1記載のとおり、市町村の区域内に住所を有する者は、法六条各号所定の適用除外事由に該当しない限り、当該市町村が行う国民健康保険の被保険者となるものであり、右被保険者は、当該市町村の区域内に住所を有するに至った日又は法六条各号のいずれにも該当しなくなった日から、特段の届出等を要せずに当然に、その資格を取得するものである。法九条は、被保険者の属する世帯の世帯主は、厚生省令の定めるところにより、その世帯に属する被保険者の資格の取得及び喪失に関する事項その他必要な事項を市町村に届けなければならない旨規定しているが、これは、保険者である市町村において被保険者の資格の得喪等に関する事項を迅速、正確に把握するために世帯主にその届出義務を課したにとどまるものであって、被保険者資格の取得は、当該市町村の区域内に住所を有するに至った日又は法六条各号のいずれにも該当しなくなった日に当然に生じるものである。
これを本件についてみれば、良介は平成八年七月一日付けで被告の住民となったことにより、当然に、被告が行う国民健康保険の被保険者資格を取得したものであり、これにより、被告は、法七六条に基づき、良介の属する世帯の世帯主である原告に対し、良介に係る保険料を徴収する権限を取得したのであって、本件資格取得届が原告の意思に基づいて提出されたか否かは、原告の保険料納付義務の成否に影響を及ぼすものではないのである。
したがって、原告の前記主張は採用することができない。
3 そして、他に区長が原告に対してした平成八年度分の保険料の賦課決定(前記第二の二記載のとおり、区長は、原告に対し、平成八年七月一六日付け及び同年八月二〇日付けで保険料額変更決定を行った上、本件決定により、最終的にその保険料を二五万九二五三円と定めたものである。)について、これを無効とすべき重大明白な瑕疵は認められない。
三 結論
そうすると、原告が被告に納付した平成八年度分の保険料二五万九二五三円について、被告に不当利得があるものということはできず、原告の本件請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 青栁馨 裁判官 増田稔 篠田賢治)